2006年08月15日

あらま

妹から頼まれスマスマの録画、、、すると'70sを歌っちょるやないですか!

なんで〜?!

まぁいい。
私の母は南こうせつの大ファンで、小さい頃から毎日毎日聴いてました。子守唄はもちろんかぐや姫。
“神田川”“妹”“なごり雪”あたりがよくテレビでも流れますが、面白い歌もいっぱいあるし、詩がすごく良いものが多いんですよね。
毎年この時期に、こうせつさん広島でチャリティーコンサートしてまして、ふとレスリーのことも思いこんな歌を書き出してみました。

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2006年06月19日

またも過去を振り返る

今回「王力宏工房」で思いがけなく意義深い意見が交わせたことで、内容は全然違いますが、吹奏楽をやってる時を思い出しました。
合奏前にパート内や部員全員でディスカッションするんですけど、その時、それぞれがどういう思いで自分の楽曲に臨んでいるかとか、何を表現したいのかとか、そういうことを真剣に話し合ったことが懐かしく思い出されました。
中学生なので技術的に全然ついていけないし表現力も未熟なんだけど、みんな真剣に語り合ったなぁ。そして色々とチャレンジもした。ケンカもいっぱいしたなぁ。部員同士だったり先生相手だったり。
でもいつもみんな真剣だった。音楽が好きで、楽器が大好きなんだって、それだけはわかりました。
一人では曲にならない、みんなが心を合わせることってすごく大事なんですよね。そのためには自分の思いを相手に伝えないといけないし、相手の主張に耳を傾けなくちゃいけない。でなかったら音楽がバラバラになってしまうから。
相手の言葉を聞けない人は、相手の音を聞くことも出来ない。
アンサンブルは自分の音とは別に周りの音も聞いて自分を客観的に見る目が必要なんです。みんなの音にどう調和するか、その中でどうやって自分を主張するか。そうやって一つの曲を創っていく。指揮者が意図する音楽とは別に、演奏者にもそういう意識が大切なんだってことを学びました。
今はもう音楽から離れた生活をしていますが、この意識は今も私の中に根強く残っていて考え方の基本にあるような気がします。こういうことってチームでやるスポーツも、もっと言うなら毎日生きているこの社会も同じなんじゃないかな。
誰かから教えられて学ぶものじゃない。自分の受けた感覚から自然に蓄積されていく。

昔からエレクトーンをやっていたので音楽に関しては本当に小さい頃から親しんでいましたが、本当の楽しさを知ったのは吹奏楽と出逢ってからです。
隊長はよく「言葉は通じなくても、音楽があれば会話できる」みたいなことを話していますが、本当にその通りだと思う。
楽器が出来る人なら誰でも一度は経験してると思う。言葉は交わさないのに心が通じる瞬間って何ともいえない不思議な一体感があって、感応的なものが充満するんです。そしてそれを知ってしまうと離れられなくなるんだなぁ。
先日のTALK ASIAで「音楽に魅了された」って隊長は言ってましたけど“魅了された”という表現はズバリ言い得て妙。
まして彼はインスピレーションが沸いて自分の中から音楽が生まれてくる人です。離れられるわけがない。実に羨ましい。
苦悩や葛藤もいっぱいあるに違いないのだけど、それでもやっぱり羨ましいと思ってしまいます。

もし何か一つだけ才能を望めるのなら、私は音楽の才能が欲しい、と以前にも書いたことがあるのですが、やっぱり今もそう思います。
自分の思いを表現できる才能、何か欲しかったな。
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2006年06月15日

楽器の話

私の出来る楽器といえば、エレクトーン少々とピッコロ(多少フルートも)。。。
一人暮らしを始めてからは楽器を触ることもめっきりなくなってしまいまして、全然指も動きません。音は出るけど、楽譜をやるには集中して練習しないと…というレベルまで下がってしまった。
上海で買ってきた中国笛を少し吹いてみたものの、キーがないので指がつりまくり(笑)
しかも運指が全然わかりません。耳で探りながら出せる音は五音のみ。この先どうなるんだろう…
やっぱり教則本欲しいなぁ。
日本語で書かれた中国笛の教則本なんて存在してるのか、そもそもそこが問題なんですよね。
中国語で書かれてるものは見つけましたが、曲が・・・・せめて民謡とかにしてくれ。なんで練習で軍歌…。まず基本を学びたいので、曲よりも運指なの。曲は自分で何とかできるから。。
次に上海に行く機会があれば、ちゃんとした教則本を探したいと思います。

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たまには過去も振り返る

PCを触る時間が減った分、何が増えたか。
せっせと音楽聴いてます。PC触ってる時も聴いてたけど、聴き方が違います。今は「聴く」ってことに集中できる。だから色んなことが見えてきて、今更なから「音楽はすごい」ってことを実感しています。

以前はすごくメモ魔で、とにかく何か感じたり思いついたことはひたすらメモしてたのですが、最近はPCに向かって浮かんできたことをインプットするって感じでした。
でも今はまた書くことに面白さを感じています。字を見ると、そのとき私が何を思っていたのかがわかるんです。

98年ごろの手帳を見てみると、ビッシリと舞台の感想が書かれています。
当時は週に一本のペースで舞台を見てました。今のお給料の半分くらいだったのに、よく生きてたなぁ。。
宝塚が一番多かったけど割とストレートプレイも見てて、とにかく舞台を見まくっていた経験が今に生きているような気がします。
色んな感覚を使って瞬時によりより多くの情報を得るっていうか…。
舞台を見る回数が減り、映画をみる機会が増えました。
そして今まで舞台では感じなかった映像のことに興味が出ました。

専門学校で、確かシナリオか何かの授業だったのですが、色々な作品を見ました。
黒沢監督はいくつか見たことがあったけど、小津監督の作品はこの授業で見て好きになりました。あと新藤監督の「裸の島」はセリフ無しなのに訴えかける力がすごくて、鮮烈な印象がありました。
たぶんカメラワークや白黒映画での照明の効果などについての講義もあったんだけど、そこのところがサッパリ覚えてないんですよね…。
作品について、物語を音楽やセリフを絡めて読み込んでいくのは好きなんだけど、カメラワークや美術なんていう部分に興味を持ったのはつい最近なので、本当に勿体ないことしました。
あの時の講義が身についていたらもっと違う角度からも作品を楽しめるのに…。

そして最近は。
音楽の表現方法に興味が出てきました。面白すぎる。
音響科出身のくせに、音響技術がまったく身についていないのが今更ながら悔やまれます。
何であの時は興味なかったんだろう。当時の私に問いただしたい。何で?
今はすっごく知りたいことがいっぱいあるのに、、、レコーディングの先生が王子先生(字が違うかもしれないけど、おうじという名前)だったことだけ覚えてるけど、授業内容はほとんど覚えてない。。。制限時間内に八の字巻きが出来なくて補習してもらった(笑)
PAはたぶん3ウェイくらいまでしか出来ないし、ミキサー卓の使い方も何となくしか覚えてないし、ミックスダウンはわりとよく褒められてたけど、、、綺麗サッパリ忘れてます。コンピュータ・ミュージックくらいじゃないかな。今でもマシに出来ることっていったら…
嗚呼、勿体ない〜〜〜〜
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2006年03月30日

詩との出逢い

高校生くらいの時、本棚の中で一番薄い本を手に取りました。ヴェルレーヌの詩集でした。
ポール・ヴェルレーヌ…パリ・コミューンの時代に活躍したフランスの詩人です。ちょうどフランス文学にはまって、ユゴーやスタンダールを読みあさっている頃でした。
秋の日のヴィヨロンのため息の…で始まるあの有名な“落葉”という詩。この詩がきっかけで、詩を読むことが楽しくなりました。
そして日本語への興味が出たのもきっかけは詩だったと思います。

 秋の日の ヴィヨロンのため息の身にしみて ひたぶるにうら悲し
 鐘のおとに胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ 過ぎし日のおもひでや
 げにわれはうらぶれて ここかしこさだめなく 飛び散らふ落葉かな

リズム感のある言葉遣いに加え、夢見るような美しい旋律を思わせる。
外国語の詩をこれほど美しい日本語の音とリズムで表現できるなんて…ヴァイオリンのことをヴィヨロンというだけで、たおやかな音が聞こえてくるようで、音楽的な美しさを言葉で表現することができるってことに激震しましたね。繊細で深い味わいのある言葉遣い。私もそんな風になりたいと思いました。
そのあとヴェルレーヌやユゴーなどの詩人の詩に曲がついていると知り歌曲を聴くようになりました。ドビュッシーはもともと好きな作曲家で、その独創的で絵画的な音楽に詩がつくとさらに深い音楽世界に浸れます。
音楽から引き出される言葉の美しさ、言葉が広げる音楽世界の奥深さ。底なしの魅力です。原語で読めないので、もっぱら日本語訳で読んでるわけですが、好きな詩はフランスやドイツのものが多いです。今日はその中から一つご紹介したいと思います。

 雪のような真白き蝶
 海の上の大きな雲に飛んでゆく
 愛すべき白い蝶よ、
 いつか私も青い空へ続く道を飛んでいってもいいですか?

 あなたは知っているのでしょうか
 愛すべきものの中でもっとも愛すべきものを
 私の翡翠色の瞳に少女たちが踊り
 もし彼女らが私に翼を貸してくれるなら、
 「何処に飛んで行くの?」と聞いてください。

 薔薇の花びらのキスなど受けないで
 森や谷間をすり抜け
 あなたの唇の片側に飛んで行き
 私のすべてを花に託し、私は死んでもかまいません。

ドイツの詩人テオフィル・ゴーティエの“Les Papillon(蝶)”という詩です。
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2005年10月14日

なりたかったもの

ここ最近、感情に走ったに意味のないテキストをさらけ出してしまって恥ずかしい…。 このままでは≪芸術の秋を格調高く過ごそう計画≫を邁進している我がブログの面目丸つぶれなので(そんなものがどこにある?)、ちょっとマジメに軌道修正しなアカン。
書きかけのレビューを書き上げようと思って開いてみたらテンションが違いすぎて凹みました。真面目モードの書き方ってどんなんだったっけなぁ。これだから気分で書いてる人間は困るんだ。
高校の担任(国語)にもよく「アナタは気分で文章がコロコロ変わるからもう少し客観的に書けるようになりなさい」と言われました。よくお見通しで…さすがです。
サイトを持つようになってから特に気をつけているつもりなのですけど、やっぱり時々サックリと消しちゃいたいときがあります。戒めの為に残してありますが、読み直すたびに先生の声が聞こえて耳が痛い(笑)

小さい頃よく書かされた将来なりたい職業には、女優とか童話作家とか探検家って書いてあります。まぁ、小さい時にありがちな芸能系職業はいいとしても探険家って(笑)
童話作家は真剣になりたいと思ってたんです。自分で絵本を作ってました。中学の時に作ったのはきちんと製本してあるもので、たぶん今でも取ってあると思うのですけど恥ずかしくて見られないです。高校生くらいからシナリオも書いたりしたけど、あれは難しい。
専門学校の時は卒業制作がラジオドラマだったので、シナリオも音作りも全部自分たちでやらなくちゃいけなくて、私は役者とシナリオと演出担当だったんですね(みんな技術に回りたい人ばかりで、役者と演出のなり手がいなかったの)。
役者はやりたかったからいいんだけど演出ってのが辛かった。「一体私はどうしたらいいんだ…」ってまったく見当もつかなくて、あの時ばかりはやめたいと思いました。そして「私はこの職業には就けない」と実感しましたね。
何もないところから何かを生み出さなくちゃいけないって、本当に神経すり減らしてこんなに苦しいものなのかと思いました。
この時「客観的になりなさい」という先生の言葉を思い出していれば少しはマシだったのになぁ。今なら少しゆとりを持って忘れちゃいけない部分ってのをしっかり見て作っていけると思うのですけど、当時の私はいっぱいいっぱいでしたから逃げたいばっかりで。若いときからそういうことを受け止めてものづくりしてる人たちってすごいです。尊敬せずにはいられない。
でもあの時の経験は少なからず今の自分の一部になっていることなので、それはそれで意味のあることだったのだなと思います。
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2005年10月02日

いつだって詰めが甘いのは昔から

すっかり宏呼ばわりさせていただいております王力宏(ワン・リーホン)が“笑傲江湖”を熱唱している&二胡も弾いてるということを聞きまして、早速見ました。聞きました。
おぉぉぉ。何かCDを視聴した時のイメージと全然違う。見た目は普通の若いお兄ちゃんなのに、めちゃめちゃ中華や〜。
FREEDOM/女子十二楽坊 で、ちょっと思い出したんですけど女子十二楽坊のCDの中に笑傲江湖って曲があったなぁ…と。聴いたことないので真偽のほどは分かりませんが、宏のバックが中国の楽器だったものでふとそんなことを考えてしまいました。ありました。こちらのCDに“笑傲江湖”が収録されています。
ヴァイオリンとピアノができて二胡もできるってええなぁ。私は何か1つでいいからマトモに演奏できる楽器がほしい。エレクトーンもピッコロも中途半端なまま。もう指も鈍ってしまって動かない(涙)
来週、吹奏楽スペシャルがあるそうで楽しみにしてます。やっぱり合奏っていいよね。一人じゃできん(当たり前)。
昔、一人で合奏してみようと思って、自分でできる楽器を一つずつ演奏しながら重ねて録音したテープが実はあるんですよ(笑) 夏休みの自由研究で人がやらないような面白いものないかなぁと思ってやってみたんですけど、当然のようにノイズが酷いわ郵便屋さんのバイクの音は入るわでお蔵入りしてしまいました。
我ながら発想は面白いと思ったんですけど、いかんせん技術とか知識が不足していて成功しませんでした。確か曲目は“大脱走のテーマ”と“キラキラ星変奏曲”だったかな。両面仕様(笑)バカだけど楽しい思い出です。※曲名をclickするとmidiが流れます。
あと、真ん中の妹も吹奏楽をやってたのでコントラバスとクラリネットができるんですね。一番下の子は吹奏楽はやってなかったけどサックスができるので、ジャズやりたいなぁとか思うんですけど、いかんせん私たちの音楽の趣味はバラバラでそんな夢が叶う日はこなさそうです。
家族でセッションとかやれたら楽しいのになぁなんて考えてるのはどうせ私くらいでしょう。そもそもピッコロでジャズってのもねぇ。無理がある(苦笑) せめてフルートやな。

[midi提供]
大脱走のテーマ by cinemaINN
キラキラ星変奏曲 by LovePiano
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2005年08月06日

夾竹桃の歌

夏に咲く花 夾竹桃 
戦争終えたその日から
母と子供の願いを込めて
広島の野に燃えている
空に太陽が輝くかぎり
つげよう世界に 原爆反対を

夏に咲く花 夾竹桃
武器をすてたあの日から
若者たちの 願いにみちて
長崎の丘に もえている
空に太陽が輝くかぎり
つげよう世界に 原爆反対を

夏に咲く花 夾竹桃
祖国の胸に沖縄を
日本の夜明け告げる日を
むかえるためにもえている
空に太陽が輝くかぎり
告げよう平和と 独立を


昨年の8月6日にも書きましたが夏になるとこの歌を思い出します。
小学生から中学生までの9年間、私の通っていた学校では6〜9月と12月は平和学習、5月と11月は人権学習が頻繁に行われていました。
今もやっているのかわかりませんが、とても大切で有意義な授業だったと思います。

昨日、広島の原爆についての特別番組が放送されていました。
第二次世界大戦という川を隔てて対立してきた人々。60年経ち私たちの意識は変化してきました。敵味方という概念はなくなり、アメリカ人は友人であると、みながアメリカに憧れ、追いつけ追い越せと働いてきた。
日本人はいつもそうなのかもしれない。
古くは中国に、オランダに、日本人はいつも誰かに憧れて目指してきた気がします。
では今は?経済大国と呼ばれ豊かになった日本人は誰かに憧れられるような存在になっているのでしょうか。

戦争というものに対する一人一人の認識の程度は他国の人たちからしてみたらとても薄っぺらいものだといいます。苦しみと悲しみのどん底から這い上がってきた先輩たちの努力を私たちはもっと知らなくてはいけない。
戦争を知らないことが無知に繋がっているのではないと思います。
戦国時代の武将よりも、エジプトのファラオよりも、たった60年前のことの方が私たちには身近で、その時のことを知っている人がまだおられる時代なんですから。ちゃんと向き合えば無関心でいられるわけないんです。体験はなくても心に刻むことはできると思うから。
生活の豊かさと引き換えに心の豊かさを失いつつある私たちは、今踏みとどまらなければいけない時を迎えているのだと思います。
埋められない大きな溝はまだ確かに存在しているんです。戦争が終わっても決して尽きることはないのが人の思いです。
「戦時下においては罪なき人なんていないんだ」とはまさにその通り。
みんなが戦争に協力し傷つけ傷ついてきた結果が今なんだと思うと、私たちは二度とそれを現実としないために、過去に学んでいかなくてはいけない。そう思います。
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2005年02月13日

吹奏楽は気合だ〜っ

やっぱり風邪が長引いていて、声がオカマちゃんみたいになっています。昨日と今日は大人しくお布団に入っております。でも寝すぎで全然眠れない。
湯たんぽ抱っこしてテレビなんぞ見ておりましたら、昨日「所さんの笑ってコラえて」でしたっけ?再放送をやっていて吹奏楽スペシャルでした。おぉぉ普門館〜。私たちも目指して頑張ってたよ…。
私がいた頃はもう全然ダメでしたけど、私の通っていた中学は全国大会の常連だった過去があり吹奏楽は盛んな地区でした。今でも全国大会に出続けているのを見るとやはりまだレベルの高い地区なんだなと思います。上手い学校はずっと上手くて、一度落ちちゃうとずっと落ちていく…そんな感じでしたね。今思えば指導者によって実力がぐんと上がったり、変わるとガタッと落ちたり。私の学校もまさにその典型でした。
上手い演奏を聴いて耳を鍛えることはすごく大事なことなんですよね。耳だけじゃなく感性も鍛えられるから、いい演奏は聴くべきだと思います。特に10代って多感なときだから、言葉では整理できない感情があるってこと大事にしてほしいなぁ。なぜか分からないけど涙が止まらいとか、自分たちと何が違うんだろうとか、私もそうだったけどわからない何かを突き詰めていくと、言葉はなくても納得させられる音楽のすごさを実感できます。

取り上げられていた学校は3校。青森と東京と大阪の高校でした。
東京と大阪の学校は代表に選ばれ全国で金賞を取りましたが、青森の学校は全国大会には行けなかったのです。だけどみんなすごく青春していて、今どきの若い子はとか言われてるのがウソみたいに、自分が学生だった時と全然違わない普通の素直な子たちがいました。
青森の学校は“ミス・サイゴン”を演奏していて、エンジニアを演じた市村氏は聞きながら口ずさんでいましたね。みんな舞台を観たことないと思うんですけど、音楽を通して共有できる思いがあるってのがスゴイよなぁ。って思う。
東京の学校が“トゥーランドット”を演奏していまして、やっぱり全国に行く学校ってのは選曲が半端じゃないのよね。オペラって曲がドラマそのものだから、技術も大事だけど表現力が伴わないととても聴けたものじゃない。
日本の吹奏楽人口はかなりのものでしょう。小学生から社会人まで吹奏楽やってる人間は多いと思う。吹奏楽は一人では出来ないので、協調性も必要になるし一つのものを創り上げる作業には終わりがないし、机に向かう勉強では身に付けられない大事なことを自分でみつけていける。私は大人になってから吹奏楽をやってよかったなと思うことがすごく多いです。
東京の指揮者の先生が「吹奏楽は気合だーっ」って言ってたけど、ホントそうだと思う(笑)
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2005年01月25日

詩との出会い

昔から国語の教科書が大好きで、新しい教科書が配布されると最初のページから何度も何度も読んでいました。その頃よく暗唱した詩は今でもハッキリと覚えています。
私は谷川俊太郎氏の詩がとても好きでした。「朝のリレー」も忘れがたいですが、やはり「生きる」は詩の楽しさを教えてもらった思い出深い作品です。

  生きているということ
  いま生きているということ
  それはのどがかわくということ
  木もれ陽がまぶしいということ
  ふっと或るメロディを思い出すということ
  くしゃみすること
  あなたと手をつなぐこと

  生きているということ
  いま生きているということ
  それはミニスカート
  それはプラネタリウム
  それはヨハン・シュトラウス
  それはピカソ
  それはアルプス
  すべての美しいものに出会うということ
  そして
  かくされた悪を注意深くこばむこと

  生きているということ
  いま生きているということ
  泣けるということ
  笑えるということ
  怒れるということ
  自由ということ

  生きているということ
  いま生きているということ
  いま遠くで犬が吠えるということ
  いま地球が廻っているということ
  いまどこかで産声があがるということ
  いまどこかで兵士が傷つくということ
  いまぶらんこがゆれているということ
  いまいまが過ぎてゆくこと

  生きているということ
  いま生きているということ
  鳥ははばたくということ
  海はとどろくということ
  かたつむりははうということ
  人は愛するということ
  あなたの手のぬくみ
  いのちということ


この詩を読むと心が熱くなって涙が出そうになることがあります。全然難しい言葉は使っていないのに、とっても深くて愛があって人を鋭くみつめる目がストレートに私に呼びかけてきます。
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2004年10月27日

ラジオドラマの思い出

自分で演奏していた曲だけでなく、公演や映画を見ていて脳裏に焼きつく音の記憶。特に中学生から高校生にかけて聞いた音っていうのは今の自分の根本を作っているように思います。
クリアなデジタルにはない雑音の混じったラジオから聞いていた名前も知らない音楽たち。そんな音が大人になってからふとどこからか流れてくると立ち止まってしまうことがよくあります。つい最近も私にとって懐かしい音が、テレビ番組の中で流れてたんです。「あーっっ」と思ったのも束の間、番組はCMに入ってしまいました。もう1回かかるかもしれないと、その番組を興味もないのに最後まで見ていたのですがかからなかった。あれは一体何ていう曲だったんだろう…。

ラジオを良く聴いていたのは中学生時代。土曜日だったか日曜日だったか。朝から吹奏楽の番組があったんですよ。それが大好きで、毎週カセットテープに撮って聴いていました。
それから夜11時前後にやっていたラジオドラマ「サウンド夢工房」後に「青春アドベンチャー」に名前が変わったと思います。これも好みの番組の時は欠かさず聞いていました。私の就寝時間は小さい頃から21時だったので、一度眠ってから起きるんです。すっごく眠いのにドラマだけは夢中になって聴いていました。
SFから文学作品、国内外のもの問わず色んなジャンルのお話を1週間から2週間かけて放送されていて、声と音だけで創られるお芝居にはテレビや映画や舞台とは違う不思議な面白さがありました。
出演されている俳優さんたちも個性的で、仁科扶紀さんや今テレビでもよくお見かけする佐々木蔵之介さん、渡辺いっけいさん、筧利夫さんなどが好きでした。当時はもちろんお顔も知らないですから私にとってはまったく声だけの人でした。だからテレビでキャストに名前を見つけたときの変な感動も面白い経験です。
「紅はこべ」でパーシー・ブレイクニーをやった筧さんの素敵な声からイメージしていた姿とご本人のギャップに最初はちょっとついていけなかった(苦笑)
覚えている作品は「6月19日の花嫁」「私は真吾」「夢行き階段」「紅はこべ」「新竹取物語 千年女王」など。「ベルサイユのばら外伝」なんていうのもありましたね〜。宝塚出身の人がキャストに入っているときは必ず聴いていたと思います。
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2004年08月06日

青い空は

1.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  燃える八月の朝 
  影まで燃え尽きた
  父の母の 兄弟たちの
  命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて
2.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  あの夜 星は黙って
  連れ去って行った
  父の母の 兄弟たちの
  命の重みを 今流す灯篭の 光に込めて
3.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  全ての国から
  戦(いくさ)の火を消して
  平和と愛と 友情の
  命の輝きを この堅い握手と 
  うたごえに込めて
  うたごえに込めて

今日は広島の原爆記念日。この日はいつも平和学習のための登校日でした。7月から9月にかけて、私の行っていた小中学校では平和学習が繰り返され、必ずこの「青い空は」と「夾竹桃の歌」を合唱していたことを思い出します。
当時は戦争というものにまったく実感がなく、ただ恐ろしい気持ちだけが心に残っていたのですが、大人になってこの頃に受けた授業の内容が深く心に思い出されます。そして人格形成されていく上で最も大切な時期に、子どもなりに平和について考える時間を作ってもらえたことは机に向かう勉強以上に必要なことだったのだとつくづく感じます。
今でも子どもたちはみんな歌っているのでしょうか。
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2004年05月04日

月読歌をさがす

急に思い立ってどうしても調べたくて仕方がなくなる・・ということがよくある。無性に「シュラルー」について知りたくなった。分かっていることは
・イギリス、アイルランド、スコットランドあたりの民謡
・シュラルーというタイトルかも不明
くらいだった。メロディーならわかるんだけど、とりあえず検索サイトで「シュラルー」と入力してみた。当然といえば当然、月組公演の内容ばかりヒットした。やっぱり・・。そんなに簡単に見つかるわけないか。シュラルーって英語ではなさそうだ。ってことでケルト音楽=ゲール語だろうと狙いを定める。この曲が収められたCDが見つからなくてもせめて意味くらいは知りたい。そしてできれば音楽ファイルなんてのを見つけられたら嬉しいんだけどなぁ・・・と格闘すること数時間。(暇だねアタシ)
シュラルーは“Shule Aroon”と書くことが判明。そして意味は「道中お気をつけて」だそうな。バンザーイ! 早速アマゾンで検索。何だ。CD出てるじゃないのよ。しかも日本のレコード会社から。なんて手間取ってしまったのかしら。・・・だけどこの曲、果たして私の探している「シュラルー」なのかしら。日本から発売しているCDだと視聴できないものが結構多くて、発売元のサイトを開いても違う曲しか視聴できなかったし。えーいっ!ここまできたら絶対に曲データまで探し当ててみせるわっっ。という意気込みに反して、簡単に海外のサイトでヒット。早速聴いてみる。ちょっと違うような気がする。楽譜も見つけた。原曲そのままではないらしい。♪シュー シュー シュラルーのところがモチーフになってるみたい。とりあえずCD買ってみる。

そういえばこの時のショーがすごく好みの世界で、私は躍起になって原曲探したなぁ。大抵は『BLUE MOON BLUE』は高見沢氏(THE ALFEE)提供による“ENDLESS DREAM”ですかね。スパンコールついてる迷彩服を初めて見た公演でした(笑)
アジアンポップスを使った大階段前の「少女標本」(このタイトルどーなの?齋藤先生・・)のメドレーは聴いたことないジャンルだったので興味深かった。それと東京公演の「イスラエルの星(場面の名前が思い出せない)」もカッコいい曲だった。この場面は大劇場の時からメロメロ。祐飛さんの手に(笑) イスラエルの星はこの公演の目玉と言っても過言ではないくらい、私にとってはリピーター化の原動力でした。最近の原曲探しでは東京公演で使われたイスラエルの星が一番苦労した曲でした。それが“SALAMA YA SALAMA”意味は“peace on peace”だそうで、改めて文字にしてみると何だか複雑な気持ちになってしまいます。
(大劇場の原曲は“悲しき願い(Don't let me be misunderstood)”尾藤イサオのカバーでも有名)
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2004年04月02日

憧れの先輩、今は何してるのかなぁ

中学生の時とっても憧れていた先輩がいました。
その先輩はすごく可愛くてピッコロがめちゃくちゃ上手。先輩の音は澄んだ水のような、それでいて木のぬくもりを感じる優しい音がするんです。
私も可愛いピッコロ吹きになるぞーって思って一生懸命練習していた中一の頃(笑)、その先輩が私にくれたカセットテープが出てきました。「上達するには練習も大事だけどいい音を聴くのも大切だよ」って書いてある手紙も一緒に。
すごく懐かしくなってそのテープを聴いてみたんです。聴きすぎてレロレロになってました。でも当時の私にとってはすごく嬉しい出来事だったのでしょうね。毎日毎日この曲を聞いていた思い出があります。
今と違ってCDがようやく普及しはじめた頃で、録音媒体というとカセットテープが主流。毎週土曜日だったか日曜日だったか・・朝早くにやっている吹奏楽のラジオ番組も必死で録音したりしたなぁ。
私は吹奏楽部に入部してすぐに「ピッコロをやりたいです!」って言ったんですよ。フルートをやりたいという子は多いんだけど、ピッコロ限定で言ってきた子は珍しかったみたいで、その先輩はすごく喜んでいたようです。
しかもうちの学校は人数が少ないくせに伝統的にピッコロ専門の人がて(人数が少ないときはフルートの人が掛け持ちっていうパターンが多いのです)、私がピッコロを希望したことでしばらくの間、部内にピッコロ2名という贅沢な(?)編成のブラスバンドとなったわけです。
よくフルートやピッコロをやっている人のことを笛吹きと呼んだりしますが、私はあえてピッコロ吹きという言い方に拘っちゃいます。
フルートよりも断然ピッコロが好きなんですよねー。楽器の中で最も高い音が出るだけにとても近所迷惑な、時には自分の耳までもおかしくなってしまう楽器なんですけど、他のどんな楽器よりも愛着があって可愛いんです。どんな曲を聴いていてもピッコロの動きを追っちゃう(笑)そしてアンサンブルの中で主役になるよりも合いの手的な役割で登場する方が好き。
久々にピッコロ協奏曲(ヴィバルディ)を聴いて、またアンサンブルやりたくなっちゃったな。
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2004年02月24日

ちょっと昔を思い出す時

中学生の時、吹奏楽部でした。ピッコロ吹きやってました。
当時演奏していた曲というのは、私の中でもすごく核の部分といいますか、今でも思い出して聴きたくなるものがとても多いです。
部活自体は先生とか体質みたいなものが嫌いだったんですけど、楽器は大好きで音楽に対する私なりの捉え方というか音楽の聴き方がすごく変わった時期でした。
小さい頃からエレクトーンをやっていて、学年が上がるとどうしても課題に出される曲というのはポップス系が多くなってきて、クラシックが好きだった私にはちょっと馴染めなくなってきていたときに吹奏楽を始めたんですね。
好きなクラシックだけじゃなくて映画音楽やジャズといった今まで聴いたことがなかったジャンルの音楽にも触れられてすごく嬉しかったし、何よりも自分以外の人たちと一つの音楽を創り上げる面白さに感動しました。
でも自分が没頭すればするほど周りとのギャップを感じてしまって、コンクールでの金賞を取ることが最終目的みたいな練習の仕方がすごく嫌で馴染めませんでした。2年生になったとき、クラブをやめると言うと先生に呼び出され理由を問われました。
「私は音楽を楽しくやりたいのに部活でやる音楽はちっとも楽しくない。一生懸命になればなるほど悲しくなる」って言った時、先生は楽しくないのは私に理由があるんだと言いました。私の本当の思いというのはこのほかにもあったのだと思いますが、言いたいことが具体的な言葉として出てこないもどかしさを感じて無性に泣きたくなったことを覚えています。
今思えば、見方を変えることでもっと気持ちを楽にして続けることができたかもしれないなぁなんて思いますが、当時の私はよく言えば一本気なところがあったのでダメだったのでしょう。
あの時自分が演奏していた曲を聴くたびに懐かしいようなちょっと残念なような・・なんともほろ苦い思いがしてきます。これもまた青春。。。なんでしょうか。
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