2009年03月15日

どうにもこうにも本が読みたくて。

こうなりました。
全部軽めの本ばかりですが、とにかく読みたい衝動を何とかしなと・・(笑)
今回借りてきたのは、お料理関係が中心の小説とエッセイとレシピ。平松洋子さんの著書が多いのですが、アジアご飯をちょっと作ってみたくてそういう感じのものを借りてきました。
他に読みたかったものもあるのだけど、他の図書館にあったり(高槻市の図書館は5箇所あるんです)、予約待ちだったり。。本当に読みたいものは1冊しかありませんでした(_ _*)・・・シュン
一番読みたかった作品は新刊ではないのに予約が14人も入ってて驚き!!買った方がいいのかもしれん・・・。
8冊借りてきましたが、うち5冊は読み終わりました。(写真ばっかりなので読むところが少ない・笑)
気になったレシピ、お店や商品情報なんかを書き写してしまったら早いとこ返却しよう。汚しちゃったら悪いし。
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2009年03月01日

読書ノート始めました。

昨年は本をほとんど読めない1年になってしまったので、2009年はまた読書を目標に。と言っても「せめて1ヶ月に3〜5冊は読みたいな」そんな、ものすごくささやかな目標。
本を購入すると、本棚にスペースはもうないし、お金もかかる。図書館に行くのが一番いい。そうすると、1ヶ月で読める本はそんなにない。そこで、読みっぱなしにならないように、読書ノートをちゃんと作ることにした。
これまでは手帳に感想を書きとめていたけれど、後で読み返すことも少なく、またどんな本を読んだのか忘れてしまいがちになる。読書ノートがあれば、長い年月かけて構築するデータベースと同じで、後々自分の歴史を面白がれる時が来るような気がする。
そんなことを思ったのが実は2月半ばだったので、中途半端ではあるものの2月から始めることに。(思い立ったが吉日と言います)
2月は「還珠姫」(瓊瑤)、「かもめ食堂」(群ようこ)、「わたしのマトカ」(片桐はいり)。
「還珠姫」は、「還珠格格」のノベライズ。しかも日本語版は完訳ではないので、かなり物足りない内容なんだけれども軽く楽しめた。日本で言うところのガールズノベルって感じのジャンル。ちょっと懐かしい香り。
「かもめ食堂」と「わたしのマトカ」は、映画「かもめ食堂」が好きなランチ仲間が貸してくれたので、その流れで片桐はいりの著書も借りてみた。普段、エッセイというものを読まないけれど、片桐はいりは好きだし、あの人の書く文章は面白いに違いないという、どこから来たかわからない確信があったので。
案の定、片桐はいりってばやっぱり面白い。あの人の個性ってのは「いかに人を不愉快にさせ、それをユーモアで包んでしまうか」だと思っていたけれど、まさしくその個性が沸々と笑いを誘ってくる。どうやら自身も同様に思っていたようで、文中にもそのような一節が出来てきた。

さて。今日から3月。読みたい本のリストばかり増えていき、ちっとも追いついていない現状ではあるものの・・・読めるものから読んでみよう。

【読みたい本リスト】
「食堂かたつむり」(小川糸)
「柘榴のスープ」(マーシャ・メヘラーン)
「衝動買い日記」(鹿島茂)
「あの頃、あの詩を」(鹿島茂)
「教科書でおぼえた名詩」
「ジェーン・エア」(シャーロット・ブロンテ)
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2009年02月07日

ずらり料理上手の台所

最近購入した本で一番気に入っているのが「ずらり料理上手の台所」
台所改造を決意した昨年6月から繰り返し繰り返し見て自分の台所を「あーでもない、こーでもない」と小さな小さな模様替えを繰り返しています。
この本には、料理関係をお仕事にしている21人のお台所が紹介されております。
生活感のある、それでいて整理整頓された清潔なお台所はわたしの憧れであります。
毎日お料理をする場所だから、居心地がよく楽しい場所にしたいなあと思って、紹介されている色んなアイデアを自分のお家でどうやって取り入れられるかアレコレ悩むのが楽しかったりします。それはいつまでも完成しないお城のような、手間がかかるほど可愛い相棒のような、そんな時間です。
台所は生きてる場所、って書いてありましたが、ホントにそうだと思う。
ないものに憧れていつまでも手が届かないままでいるよりも、もしちょっとした工夫でそれが大好きなものになるのだったら、それがホントのオリジナルになるんじゃないかなって、そんな風に感じました。

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2008年11月11日

それから

p-345.jpgお買い物の帰りに寄った本屋にて。
新古本として並んでいた「献立教室」というお料理本。中身を立ち読みしてみたところ、わたし好みのちょっとしたおかずオンパレードでして、しかもお料理の献立の参考になるお話や今さら聞けないお料理の疑問なんかのQ&Aもあって、50%offになっていたのでちょっと買ってみました。
美味しそうなお野菜料理がたくさんです。週末、さっそく作ってみよう!

考えてみたらレシピ本を買ったのは初めてかも。
高校時代から雑誌などを切り抜いてスクラップしたレシピ本を作ってましたが、雑誌の紙質だと何回かお料理で使うとボロボロになっちゃうんですよね。
父が調理師なので、実家にはたくさんお料理の本があったんですが、本格的な西洋料理なので写真を見て「美味しそうだなあ〜」ぐらいしか楽しめず・・何しろ、出てくる材料がスーパーに売ってないんだもん(笑)
お菓子の本から、ババロアとシュー・ア・ラ・モードは作った記憶があるようなないような・・・・
基本的に子どもの頃からお菓子作りに興味はなく、お友達に付き合ってクッキーとかチョコレートを作ったぐらいのスキルしかありません。女の子の歴史としては、ちょっと欠落しているかもしれん(笑)

ボロになってしまったスクラップレシピの中から、特に気に入っているものはもう覚えてしまったし、書き写すほどのこともない簡単なものばかりなので、最近はちょっとマジメにお料理しようと思って、父に聞いたりインターネットで検索したりして、お出汁のとり方とか、お魚のさばき方とか、、、ホントに今さらながらお勉強中です。そんなメモがちょっとずつ増えてきました。こういうのほど、書き留めておかないと忘れちゃうという悲しい現実…
お裁縫のヒントに・・と思って、古本屋さんで購入した「天然生活」と「クウネル」のバックナンバーにもいくつかお料理のレシピが載っていたのですが、その中できぃちゃんが「これ食べてみたい」とリクエストがきた“ゴボウのから揚げ”を週末に作ってみたいと思っております。
上手に出来たら次回のてふ*てふお料理部で作ってみようかなあと。

来月、クリスマス会と称して我がてふ*てふ部員が一堂に会します。
小学生のクリスマス会をテーマに(ここで唐突に発表してみる)、各自手作りプレゼント交換がメインです。お料理もクリスマスっぽくないものになる予定。(好き嫌いは許しません) 小料理屋さんみたいに、いろんなお惣菜を鉢に盛ってカウンターに並べてみたい夢を、ここで一方的に味わってみようと思っちょります。
あとはのほほーんと食べて喋って終わりそうな感じがぷんぷんしますが、オンラインゲームでお友達になった子に赤ちゃんが生まれたので、会いにいけたらいいな〜という計画もあり、どこまで実現できるかまったくの謎。
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2008年05月29日

雨が降る

近年、この時期は【飽きるまで見続けよう映画月間】を開催しているわたくしですが、今年は読書月間してみようと思っています。

以前、読書論というタイトルで記事を書きました。(こちら)また、メタファー(比喩)についても書きましたが(こちら)、やはり読書の持つ力というものは測り知れないと信じておるわけです。
そこで、以前実行していた“1日10分間声に出して読む”を再開いたします!!!(いきなり宣言・笑)
小学生の時の国語の教科書は光村図書でした。
ということで、以前もご紹介したかな?の光村ライブラリーを少しずつ読んでます。懐かしくてうるっとしてしまいます。
その中から1つ。心を揺さぶられる詩をご紹介したいと思います。



「木琴」金井直(かない・ちょく)

妹よ
今夜は雨が降っていて
お前の木琴がきけない
お前はいつも大事に木琴をかかえて
学校へ通っていたね
暗い家の中でもお前は
木琴といっしょにうたっていたね
そしてよくこういったね
「早く街に赤や青や黄色の電灯がつくといいな」
あんなにいやがっていた戦争が
お前と木琴を焼いてしまった

妹よ
お前が地上で木琴を鳴らさなくなり
星の中で鳴らし始めてから
まもなく街は明るくなったのだよ
私のほかに誰も知らないけれど

妹よ
今夜は雨が降っていて
お前の木琴がきけない




この詩は、合唱曲にもなっているので、ご存知の方もおられるかもしれません。
習ったのは、確か高校生の時だったと思います。
全編を読んでいただければわかると思いますが、作者は、ただ妹を悼んで、その思い出にしがみついているわけではありません。
では、この詩に託された本当の思い何か。
それは、大切な人への思いと、そして平和を強く願う心です。
何もかも奪ってしまった戦争への強い憎しみと怒り。

木琴を奏でながら「早く街に赤や青や黄色の電灯がつくといいな」と言っていた妹。
地上に明々と光が灯るようになった頃、妹は地上ではなく星の中で木琴を鳴らします。
雨が降ると、星は隠れ木琴を聞くことができないのです。


世界中で止む事がない争い、突然の災害。
心が痛い出来事ばかりの毎日。地球上に雨がやむことはないのかな。



「この雨、やみますかねぇ・・」
「いままでやまなかった雨はありません」


これも、いつだったか習った教科書の中にあったフレーズです。
前後はすっかり忘れてしまいましたが、きっと雨はやむと信じたい。
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2007年03月21日

月と蝶と恋心

「蝶戀花」」という詩を探している時に偶然出会いました。
日本語で読むと、どちらも“ちょうれんか”ですね。
これまた「なんて綺麗な詩だろう・・・」と感激しまして、せっせと書き写してきました。
(今は時間がなくて読書できそうにないので借りなかった)
気づけばノートには蝶の歌ばっかり(笑)
「蝶戀花」は宋代の詩、「蝶戀歌」は清代の詩です。
良寛の漢詩でも蝶の歌がありましたね。確か。
花が開くときに蝶はやってくる。蝶がやってくるときに花は開く…って感じだったような。

『蝶戀歌』納蘭性徳

辛苦最憐天上月
一昔如環
昔々長如夬
但似月輪終皎潔
不辞氷雪為卿熱

無奈鍾情容易絶
燕子依然
軟踏簾鈎説
唱罷秋墳愁未歇
春叢認取雙棲蝶

以前“月亮代表我的心”に果敢に挑戦したとき、
「月はいつでも丸いわけじゃない。欠けてる思いも含めて私の想いを察してね」
ってな感じにしてみたのですが、
この詩は、

二人で眺めた満月。
いつの間にか欠けてしまって二人の心は離れてしまったように思うけど、
その心が月のように清らかに照っているかぎり、
氷雪のように冷たくても、私があなたを想う心は熱い。
季節は移り春になったというけれど、私はまだあなたを想っています。

そう詠ってるんですよ〜〜〜
いやぁ。。。月と恋心は切っても切り離せないものなのね。
無奈鍾情容易絶…あなたへの想いを断ち切ることが出来ない、ねぇ。
未練がましいと取るか、一途と取るか・・・その人次第というところもありますが。

こうやって読んでいると、漢詩がますます面白くなってきました。
しばらくこの系統が続くかも。
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2007年03月19日

問うてもこたえぬ花

『蝶戀花』欧陽修

庭院深深深幾許
楊柳堆煙
簾幕無重數
玉勒雕鞍遊冶處
樓高不見章臺路 

雨風狂三月暮
門掩黄昏
無計留春住
涙眼問花花不語
亂紅飛過鞦韆去


その庭は、いったいどのくらい奥深いのだろう
柳は靄に覆われて 簾や帳が幾重にも重なっているよう
そこは高貴な人々が遊びにくるところ
楼が高くて花街への路を見ることはできない

横なぐりの雨 風が荒れ狂う 三月の暮れ
門が黄昏を掩い隠すことは出来ても
去り行く春を留めることはできない
涙を浮かべ花に問うてみても花は語らず
乱れ散る紅い花びらが 鞦韆を過ぎ去っていく

――――――――

先日、教えていただいた漢詩「蝶戀花」という詩を読んでみました。
香港型Lウィルスにやられている方ならば、このタイトルを見てはらはらと舞うあの人の姿を思い出すことでしょう。

舞台は高貴な人々が集う高級遊郭。
高い門や壁で黄昏を掩い隠してしまえても、過ぎていく春をどうすることもできない。
春の移ろいを惜しむ歌なのですが、この人は花に何を訊ねたのでしょうか。
花は何もこたえず、風に紅い花びらを舞い散らせブランコを越していく。

花に恋をしている蝶というタイトルですし恋歌なのかなぁ…と思います。
だって、春が去るのを涙して見送るってねぇ…。来年も春はくるんだよ?
なーんて。単純な私なんぞは思ってしまいますが、詩心のある人なら今年見送る春は、来年見送る春とは違うんでしょう。

でもこの人にとっての春っていうのが“自分の思いの成就だった”とすると、誰かへの報われない思いを歌ってると解釈できるし、なぜ高級遊郭が出てくるのか、なぜ花は何もこたえずに花びらを散らし風がブランコを揺らすのか、がしっくりくるんです。
だから勝手に“手の届かないところに行ってしまう花に恋をした蝶”として読んでしまいました。
恋する相手(花)が遊郭の女性で、身分の高い誰かの元に行ってしまうのであれば、この人(蝶)にとってはまさに引き止めることが出来ない春ですよ。
もう成就することはないのに、それでも慕わずにはいられない切ない想い。
そんな春の終わりを、ただ黙って涙するしかない蝶と、こたえない花の心の声が風に揺れるとブランコと紅い花びらに象徴されているような…

なんでそう感じたかというと、この花に恋する蝶っていうのが、まるでレスリーを慕う私(たち)のようではないかと、思えてならなかったから。
この時期だったから、余計に深読みしちゃうのかなぁ。。。
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2007年03月13日

春なのに涙がこぼれます

漢詩は好きだけどなんとなく字面で楽しんでいる、くらいだった私ですが、中国語の勉強を始めてからは「ヘタクソでも自分の言葉にしてみよう」という気持ちが出てきました。
和歌同様、短い文の中に見え隠れする情景や感情を感じ取ることは本当に楽しくて、同時に先人たちの優れた言葉の感性に舌を巻きます。
中国語を教えてくれている老師が紹介してくれた漢詩。
以前の授業で、和歌や漢詩が好きだという話をしたことがあります。
老師も読書が好きで「紅楼夢」を読んでいるが、難しくてなかなか進まないと言っていました。レスリーも「紅楼夢」が好きだって言ってたなぁ。。。私も読んでみたいけど、出来れば原語で読めるようになりたいです。(そんなこと言って、この調子だといつになるんだろ…)


『生査子 元夕』 欧陽修
去年元夜時,花市灯如昼。
月到柳梢頭,人約黄昏後。
今年元夜時,月与灯依旧。
不見去年人,涙湿春衫袖。

去る年の元宵の時、花市の灯は昼の如きなり。
月は柳の枝の頭にかかり、人は黄昏の後に約束す。
今年の元宵の時、月と灯は旧じ依れど
去年の人見えず、春袖を涙に濡らす。

去年の元宵の時。
花市の灯篭はまるで昼間のようだった。
月は柳の枝の先にかかり、黄昏の後に会いましょうと約束した。
今年の元宵の時。
月影も燈も去年と同じなのに、あの人は現れなかった。
悲しみの涙で春着の袖は濡れている。


すごく綺麗な表現ですよね。
灯篭が明々としている花市、そして月が出て、木々や行き交う人々はシルエットになって、、、、
今年も昨年と変わらないように見える風景。だけど「またお会いましょう」と約束したあの人は現れず。
新年というだけじゃなくて、きっと再会を約束した人のために、この人は晴れ着を新調したんだろうなぁ。
また会えると心待ちにしていたこの人の気持ちは、新年の華やかさも相まってますます寂しさを感じてしまっただろう。
毎年新しい年は来るし、その度に人々は新年を祝うけれども、いつもが同じではないんだ。。。って春が訪れた喜びと同時にふと物悲しい気持ちになる美しい詩だなと思います。
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2006年12月08日

詩人は舟の上に生涯を浮かべる?

私の老師は杭州の出身です。
ブログに杭州と西湖について書いてありました。
上有天堂、下有蘇杭(天に極楽あり、地に蘇杭あり)
これは有名でよく聞きます。蘇州、杭州は地上の楽園と謳われた美しい土地なんですね。
また杭州の一番の見どころとして西湖があります。
これもまた有名な歌ですが西湖を西施に譬えた北宋時代の詩人、蘇東坡の詩を紹介していました。
歴史ある美しい都、日本で言うと京都のような場所なのでしょうか。

西湖を謳った漢詩はたくさんあるようで、私の持っている本の中には次のようなものがありました。
水氣並山影 蒼茫已作秋 林深喜見寺 岸靜惜移舟 疏葦先寒折 殘虹帶夕收 吾廬在何處 歸興起漁謳
(もやが山影にかかり、あたりはすっかり秋めいてきた。嬉しいことに林の奥深くに寺が見える。静かな岸に舟をつけるのは惜しいが、まばらな葦は寒さの前に折れ、残っていた虹も夕陽に染まり消えていく。私の庵はどの辺りだろうか。帰ろう。漁師の歌が聞こえてきたぞ。)


これは「秋日西湖間泛」という詩です。秋の日の西湖に浮かぶ、、って感じの意味かな?
作者の林逋は西湖の中の庵で生活し、長い間街には足を踏み入れなかったのだそうです。
湖の島に住み着くなんて・・・ちょっと黄薬師みたい(笑)
昔からたくさんの詩に詠まれてきた西湖、もうすぐ自分の目で見られるんだと思うと嬉しくてなりません。
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2006年11月09日

読書週間

この季節は読書週間で、学校の図書館には全国推薦図書が張り出され、うち何冊読んだことがあるか、1年でどのくらい読書したか、など確認することもできて、次は何を読もうかワクワクしたものです。
夏休みには各出版社が推薦100冊というものが出されます。書店で小冊子を貰うのが好きでしたね。新潮文庫のウェブサイトもあります。http://100satsu.com/
ウェブサイトでは歴代の100冊というとで、過去のデータも見られます。すごいですねぇ。
私の学生時代の100冊と今の100冊では少し違うようです。
昔はとにかく国内外の純文学が多かったかなぁ。今は現代文学も増えていて、読んだことない作品もたくさんあります。
中学生のころに読んだ作家は日本人が多く、小説では芥川龍之介、宮沢賢治、山本周五郎等が好きでした。小川未明、新美南吉などの童話作家も好きでした。(当時は童話作家になりたいと思っていたので)
それから詩。国内外問わず読んでみましたが、私が好きだと感じるのは日本の詩でした。やっぱり日本人の感覚っていうのが大きいのかなぁ。情景が目に浮かび心を想像することが楽しいと思ったのは断然日本の詩ですね。島崎藤村とか北原白秋とか。
海外の作品ではフランス、ロシアが好きでした。スタンダール、トルストイは特に好きで、中二の読書感想文はスタンダールの「赤と黒」だったかと。
私の学校では、夏休みのほかにも秋の読書週間にも感想文を書きました。
作文は全部取ってあるのですが、いくつかのものはありません。受賞すると作文を返してもらえないのです。
中三だった気がしますが、芥川龍之介の「杜子春」の感想文が自分でも良く書けたと気に入っていたのですが、今となってはそれがどんな内容だったか覚えてないんです。もう学校にも残ってなさそうだなぁ。。。(残っていたら読んでみたい)

当時、私が読んだ作品からオススメする10冊。

山本周五郎「ちいさこべ」
島崎藤村「破戒」
堀辰雄「風立ちぬ」
芥川龍之介「みかん」
夏目漱石「こころ」
宮沢賢治「注文の多い料理店」
ジェームズ・ヒルトン「チップス先生さようなら」
ツルゲーネフ「初恋」
スタンダール「赤と黒」
デュマ「モンテクリスト伯」
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2006年10月22日

秋ですので読書の話題でも。


大学のレポートは手書きで作成しています。提出するのは横書きの専用の用紙です。
そこで下書きを何度も繰り返してから清書するのですが、私は横書きの原稿用紙を使ったことがなかったので、この書式になれるのが大変でした。
下書きに使うのは一番雰囲気が近いコクヨの横書き原稿用紙。
文章というのは、ただ文字が並んでいるだけではなく、かなと漢字のバランス、句読点の位置、縦横の方向が違うことによって生じるスピード感、無意識のうちにそういうものが大きく影響して人への印象を決めていると思っています。

人それぞれ文章の癖や好みがあるのですが、レポートとは言え私の書いたものには私なりのこだわり、というものを抑えておきたいと思っているので、ただの紙、ただのペンにも自分のポリシーがあるのです。
小さい頃から文章を読んだり書いたりすることが好きだったからかもしれません。ただ「書く」というだけの作業にも、自分の楽しみを忘れたくないんですね。
レポートは自分の学習の成果を見てもらうだけのものじゃない。
どうやって学習したのか、何を感じたのか、何を伝えたいのか。
限られた文字数の中で、見える文字として、また見えない行間の中でも、ちゃんと意思を持っているものにしたい。
そういう気持ちでいると、なかなかヨッシャ!というものになるまで時間がかかってしまいます。

作家って本当に大変なお仕事だなぁ…と、プチ作家気分を味わってることにして(笑)「生みの苦しみ」と呼ぶ時間も楽しむことにしていますが…
ふと気づくとこんな落書きじみたことをしてしまう時があります。(だからすぐに原稿用紙がなくなる・苦笑)
横書きの用紙を縦に使ってしまう癖。。。。
原稿用紙はどうしても縦書きの方が好きですねん。

はい。ここから本題!(やっと)
昨日の夜中、レポートを書いてるときにいつの間にか落書いてしまった島崎藤村の「相思」という詩。改めて読み返すとジーンとしてうっとりして、いい気持ちになります。やっぱり日本語っていいわぁ。日本人でよかった。日本人だからこの美しさが誰に注釈されなくても感じ取れるんだなぁ。。。と噛みしめてしまう。

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2006年09月23日

魯迅−阿Q正伝

上海にお住まいの「アジアの日々」fuimeiさんが魯迅記念館など紹介されていました。
私が中国を好きなのは単に明星が好きというだけじゃなくて、小さい頃から中国の文化に興味があったから。
特に文学や音楽は私の一番好きな部分で、もし時間があるのなら文学の旅、してみたいんですよね〜。母も誘って、、、私の卒業旅行は中国にしようかな(予定通りに卒業できるんだろうか・笑)。きっとその頃には少しくらい会話できるようになってるはず、です。

魯迅「阿Q正伝」は推薦図書にも選ばれていたので、中学生の時に読みました。
当時は中国の歴史についてほとんど理解していなかったので、この作品が言いたいことの半分もわかっていませんでした。いや、たぶんほとんど意味不明だったと思う。
この人何のために生きてるんだろう…って最後までまったく理解できなかったもん。
登場人物に共感できないだけじゃない。なぜ推薦図書なのかが不思議なくらい。面白いと思わなかった。
それ以来一度もページをめくることなく大人になりました。
でも今思い起こしてみると、阿Qは多くの中国人の代表のようなもので、私が思うに「中国人が根本的に持ってる気質」の一つではないかと感じます。
そしてふと、なぜ阿Qに苗字がないのかな…と考えてしまいました。
阿Qには姓がないのです。それどころか下の名前さえ明らかにされていません。(だから音としてQを当ててあるのだと思う)ただ阿Qと呼ばれている。

彼はみすぼらしく、貧弱で誰からも蔑まされてるような男でした。ゆえに卑屈で強い者には媚びへつらい、弱い者には横柄に振舞う、どうしようもない人間なのです。
だけど彼自身はそのことをまったく客観視せず、自分は勝者であると思い続けている。とにかく驚くほどプラス思考(…というのだろうか?)。驚くほどご都合主義。
そんな彼が選んだのは辛亥革命に参加すること。革命家として人から恐れおののかれる存在になること。
だけど当然ながらそこには信念などはない。深く考えない自己満足の行き着いた先にあったものは処刑でした。
彼の処刑に誰も関心を持たず同情もなく、ただ彼は殺された。

阿Qの生涯はよくある日々の一コマに過ぎない…そんな感じです。
このことが示す意味とは何か。今は少しわかる気がします。
この「阿Q正伝」は新聞のコラムとして執筆されたものだそうです。
魯迅はこの「阿Q正伝」を、辛亥革命を批判するために、また自国の民衆の愚かさを批判するために書き始めたのだとか。
ペンで社会と闘い続けた作家はたくさんいます。ユゴー、トルストイ、ゴーゴリ…。
みな民衆の苦しみや悩みを描き、自分たちを支配する層と戦いつづけた。
だけど魯迅は違う。
魯迅が戦いを挑んだのは自分の国と自分の国の民衆。
中国の将来のために。あえて腐敗しきった中国の国民性を辛辣に書いた。
阿Qは自分のすぐ近くにいる、いえ自分自身でもある。
だから阿Qには名前なんてないんです。ただそう呼ばれている男であるというだけのこと。
愚かなのは自分たちなのだ。自覚すべきは自分たちなのだ。
阿Qという人間の生き方の裏にそういうものが隠れているのだなぁ、、と。

すごい作家ですね。
今読み返すともっといろんなことが見えてくるんだろうなぁ。
試験が終わったら読んでみよう。
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2006年07月24日

四面楚歌

項王軍壁垓下。
兵少食尽。
漢軍及諸侯兵囲之数重。
夜聞漢軍四面皆楚歌、
項王乃大驚曰、
「漢皆已得楚乎。
是何楚人之多也。」
項王則夜起飲帳中。
有美人、名虞。常幸従。
駿馬、名騅。常騎之。
於是項王乃悲歌コウ慨、
自為詩曰、

力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何

歌数カン、美人和之。
項王泣数行下。
左右皆泣、莫能仰視。

::::::::::::::::::::

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2006年07月17日

読書論

昨日の新聞に金庸について、またそれに追随して読書について哲学について書かれていました。
少し引用しますと

――「中国人がいれば、必ず金庸の小説がある」
 中国本土をはじめ、世界中の華僑・華人に読み継がれてきた。
 ストーリーの面白さは極上、飛び切りである。登場人物の多様・多彩さも比類がない。
 情に厚く、義に篤い偉丈夫。あえて逆境に身を投じる孤高の剣士。計算高いが、どこか憎めない、お調子者。
 人間の弱さ、もろさ、欠点も、ありのままに描く。読者は作中の人物に自分を映し、手に汗を握る。
 だが、それだけではない。
 背骨には、揺るがぬ哲学、信念がびしっと貫かれている。
 不正は絶対に許さない。
 恩には必ず報いる。
 仇なすものとは一歩も退かずに戦う。
 痛快無比。正義と不正義が奮然とする時代だからこそ、人々を魅了してやまないのだろう。

 (中略)

 金庸先生は“東洋のデュマ”と称される。
 アレクサンドル・デュマ。名作『モンテ・クリスト伯』の作者である。日本では明治の昔、黒岩涙香が翻訳した『巌窟王』の作品名で広く知られた。
 冤罪でとらわれた主人公エドモン・ダンテスが決死の脱獄を果たし、卑劣な敵を打ち倒していくドラマである。 ・・・以下続く。

そしてこの記事の冒頭にはこう書かれています。

――よくできている。大した作家だ。ただし、面白おかしく読むだけではいけない。その奥にある哲学の深さと、信念の強さを学べ。
 本に呑まれてはいけない。筋書きを追うだけでは下の読み方である。書物の背後にある作家の精神、社会まで読みこなせ。

母は自分に学歴がないことがコンプレックスになっていて、私たちにはいつも質の良い学習環境を自分で作れないことを気にしていました。
それでいつも「本を読みなさい。考える力、知恵は本から学びなさい」と繰り返していました。
「大切なのは読書量ではなくいかにその本を自分の力にするか。本の読み方を知ってる人間は色んなものが見えるものだ」という母の言葉は、この読書論に集約されていると思いました。

夏休みですね。子どもたちだけでなく、大人も本を読むのにいい季節です。
何しろ図書館は涼しい!図書館で過ごせばお家の冷房代が浮きます(笑)
でも同じ考えの人が多いのか、最近は図書館も人が多いんですよね…。
この夏読むつもりでいる本は、悲しいかな教材です。。読みたい本と一致していないのがツライところ。。。
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2006年05月11日

基本は「書く」こと

数日前、上司の机上に置いてあったあるビジネス雑誌。
その見出しが気にかかって無断でパラパラ見てしまいました。
書くことについて、それはビジネス雑誌なので主にビジネス文書についての記事だったのですが、それに追随する形で文章校正や言葉の創造について、ある作家のインタビューが掲載されており、とても興味深かったんです。
後でゆっくり読ませてもらおうと思ったら、私がこういう記事が好きだということは上司も知っていたからか、その雑誌をくれました。
メインのビジネス文書の記事は内容的あまり印象に残ることはなかったのですが、とにかくそのインタビュー記事は面白かった。

手書きで作成した文章と、キーボードで打った文章の違い。納得です。
更に、縦書き文章と横書き文章。この違いにはかなり唸りましたね。

私もレポートはじめ、気合を入れて文章を作成するときは手書きで文章を作成します。その方が考えもまとまるし、言葉も選びぬかれて全体の印象が洗練される気がします。
ブログ中心の最近は、キーボードから生まれる文章なので構成も甘いしダラダラしてる。
これは少し前から気になっていたことだったので、少し心を入れ替えて初心にかえることにしました。
一時期、テキストサイトを目指そうと思って、文章を目で見せる方法などを考えたりしたこともありましたが、何よりも大切なのは、書かれている中身ですよね。
目から鱗の記事を読んだお陰で頭がスッキリしました。これからは文章量産→文章良産で行きます。

久々に原稿用紙を出してきました。
週末は“大熱”の訳を手入れしようと思ってます。(現在レスリーページを作業中)
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2006年05月06日

こうやって抜け出せなくなるんだ

資料整理していて気付きました。
隊長の写真集「Portrait of a Love Song」って・・・もう在庫切れなんですね。どこもかしこも。。。

ガーーーーン。

あんなに諸先輩方々にオススメされていたオモシロ隊長(すまん)だったのに〜〜〜
しかもamazonマーケットプレイス、尋常じゃないし。なんでイチマンゴセンエン!?嗚呼、、、「レスリー・チャンのすべて」も持っていない私が、隊長の1st写真集を手にするなんて間違っているのかもしれん。

でも。。。。あかん。今のうちになんとかせねば・・・

でようやっと1件、店頭在庫をかっさらいました。
紀伊国屋書店さんに走れる方はGO!ですぞ。(オンラインでは取扱いありません。店頭引取り出来る方ならチャンスありです)
現在店頭在庫があるのは 梅田、福岡、横浜、大津、岡山の5店舗。詳しくはコチラ
ジュンク堂書店 池袋店にも2冊の在庫アリ 
こちらはオンラインで購入できるのかな?会員登録がいるかもしれない。
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2006年03月26日

POP ASIA 3/31発売です。

 雑誌のインタビューは立ち読みして残しておきたいと思えば購入しているのですが、これはなかなか充実した記事が読めそうな予感、ということで「POP ASIA No.62」予約してみました。

 「試してみたいことがたくさんあるんだ」

何?何??なんでもやっていいよー!
新しいことが生まれる瞬間に立ち会えるって、すっごい幸せなんだよねぇ。
日本の雑誌や新聞いいところは読み応えのある内容の記事だと思うのよ。
みんなして同じことばっかり聞いてる&彼の紹介記事で半分以上紙面を費やしているようなものはNo Thanksなの。
少ないページ数でも実りのあるインタビューってできるはずなので、日本のメディアにはそういうの期待してますのよ。
彼の音楽に対する捉え方や展望といったもの、大きな夢と冒険心を持ってる人だから、聞いても聞き足りないくらいだと思うの。そういうの突っ込んでください。

偶然持ってた古い「CDジャーナル」記事がたった1ページだったけど、すごく興味深くて感動したのでよろしく頼みます。日本のマスコミの方々。
これからコンサートや映画などで日本のメディアに出る回数も、何も無いときよりは多いと思うの。
アジアエンタメなメディアはともかくとして、普通にメディアに出る場合もできるだけ彼を華流や台流などといった括りで持ち上げるような内容はやめてほしいなぁ。
隊長の音楽は垣根のないFreedomなところが魅力だから(だからポップスを聴かない私がハマってるんだし)、彼の秘めた部分を引き出すような質問を期待してます。

あ、いつだったか関西ローカルの番組「ちちんぷいぷい」で周渝民(ヴィック・チョウ)や陳柏霖(チェン・ボーリン)がインタビュー受けてました。これまたアジアエンタメにハマる前で(…いや陳柏霖君の時は違うか)、偶然見たんだけど、なんかローカルで面白かった記憶があります。隊長も出ないかなぁ。
思い返せば、この番組は平日なのにちゃいちゃいの回を見てたんだよ。私ってば…。なんで録画してないんだよーーー!
陳柏霖くんの時は、録画に失敗だったんだけどさ。ちぇっ。
インタビュアーの日本語をずいぶん聞き取ってて出来るだけ日本語で答えてたのが印象的。内容は、日本での生活がどんなんだったかとかそういう話だった気がする…。
この番組は結構アジア圏のスターにインタビューってことがあるので、隊長もぜひお願いしたいのだけど…。大阪に滞在する日を考えると無理だろなぁ(遠い目)。

POP ASIA BLOGこの号の内容が少しだけ載ってます。
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2006年02月21日

お気に入りのブログが書籍化

痛快な文章で語られる現代の中国と日本の姿についつい読みふけってしまう、らんさんのブログ。中華的生活「多少銭?」。(seesaaが中国からアクセスできないのでミラーブログもあります。こちら)
とうとう書籍になるそうで、タイトルは「世にも不思議な中国人」。

“うん命のデート”が出逢いでした(笑)
あまりに面白くて、会社の人やらKeyちゃんに「これ読め!」と送りつけ、頼まれもしないのにファンを増やしてみたり(笑)過去ログもかなり爆笑で読ませていただきました。

自分の置かれている環境に決してへこたれない。むしろ立ち向かってやろーじゃないの。

この精神が大好きです。
日中間にある様々な問題についても独自の視点からかかれており、現地で生活しているからこその発想にいつも唸ってしまいます。
またそれらの記事に対する読者からのコメントも様々でかなり読み応えがあり活気のあるブログです。
書籍が発売されるにあたり関連の記事は削除されるとのこと。コメントも一緒に消えてしまうのが残念です。
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2006年01月29日

書くこと。

内容にもよりますが、日々の日記なら大体10分くらいで書いています。CDレビューはそれより少し時間がかかってしまいますが、書きたい内容を把握してから打ち始めるので、時間で言うとだいたい20分くらい。映画や舞台のレビューが一番時間かかるかなぁ。実際に書き始めると早いのですが、前の段階が長いんですよね。
CDは聴き込むのに1週間〜2週間かけられますが、1回見ただけの映画や舞台に関して書くほうが難しいです。瞬発力がいりますから。
そしてこの瞬発力は継続しないと衰えていくなと感じていたりします。週1回のペースで舞台を観ていたときは同じ舞台を観ても毎回違う感想が書けましたし、そんなに難しくなかったもの。最近は考えながら止ってることがある。うーーん。
目や耳から入った情報を出力する方法の一つが書くことだと思うのですが、書くということはすなわち自分の気持ちを端的に言葉にするということで、これがなかなか難しいのです。以前にも少し書きましたが、読書は本当に大切ですね。自分の単語力のなさに凹むことばかり。
私が書くことが好きになったのは、子どもの頃読書が好きだったからだと思います。童話作家になりたいと思っていた頃は、とにかく毎日何か読んで自分もマネして書いていました。(しかし今見ると字が汚い・笑)
見たこともない場所、会った事もない人から色んなことを教えてもらいました。読むことは書く力をつけてくれるだけでなく、語る力もつけてくれるのだと思います。

私が尊敬している作家は宮沢賢治。この人の言葉を生み出す力は、独創性に溢れていてとてもわかりやすい。言葉に表情があります。幼稚園児の私にでもその言葉が理解でき、作品世界にのめり込みました。そして人として生きることの苦しみや喜びが彼の作品には描かれています。
それから芥川龍之介。人間を見つめる優しくも厳しいまなざしが好きです。中国の古典に興味を持ったのも芥川作品から。「杜子春」と「みかん」は気に入っている作品。
海外の作家ではトルストイが好きです。文壇だけでなく、思想、政治にまで影響を及ぼした偉大な文豪。あまりにも有名な「戦争と平和」。彼の強い信念が織り込まれた大作ですので読み応えは相当なもの。読むのは大変という方、ソ連映画の「戦争と平和」は素晴らしい出来栄えです。
この映画の冒頭はこう語られています。
「大きな意味をもつ思想とは単純なものだ。私は思うのだが、要人が力を合わせ権勢を振るうならば、誠実な人々も手をつながねばならない」
哲学が人が生きる上でどれほど大切なものなのか、これらの作家たちの作品を通して感じることが出来ます。
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2005年12月16日

花田錯を立ち読み

《登場人物》 
卞済(書生)
月英(お嬢様)
春蘭(小間使い)
周通(月英に横恋慕するやなヤロー)
玉楼(周通の妹。賢くて美人)

《たぶんこんな話》
時は北宋。ある日、月英は春蘭を連れて花田会見物へ出かけました。
“良縁あり・・・けれど道のりは険しい”良縁を求めて引いてみたおみくじにガックシのお嬢様。
その時、書画を売る書生・卞済と出会います。一目で恋に落ちてしまった二人。その様子を見て小間使いの春蘭は「ははーん」と感づきます。
帰宅したお嬢様ボーっと何も手につかず、「一肌脱いでやろうじゃないの」と春蘭は月英の両親にお婿さん候補を大プッシュ。
手巾に書いてもらった詩をいたく気に入った月英の父は「よっしゃ、お婿さんにしちゃる!」と売り子をしている卞済へ迎えをやります。
が、そこにいたのは卞済ではなく、嫌味な男・周通。卞済は才を見込まれ絵を描くために店を離れていたのです。
しかし、そんなことは知るはずもない迎えの者は周通を卞済だと思いこみ連れて帰ります。
待ち待った婿殿が、ビックリするほどの嫌なヤツで父はガックシ。金を持たせ引き取らせようとするのですが、女好きの周通は引かず何が何でも月英を妻にすると言い張る始末。3日後に嫁を貰いに来ると言って去っていきます。
まいった・・・どうしよう・・・。春蘭はなんとかせねばと卞済を女装させ屋敷に忍び込ませます。そして策はないかとあれこれ考えている真っ最中、待ちきれない周通がやってきて女装した卞済を月英と間違えて連れ去ってしまうのでありました。あいや〜

さてさて、連れ去られてしまった月英@卞済、ぴーんちっ! そこへ姫を助けるヒーロー玉楼登場。
「女をさらってくるなんて、なんて、なんて野獣なの!兄さんには指一本触れさせません!」と月英@卞済をひっぱってく。妹には弱い兄…。But。ここは紳士として、未婚の女性と同じ部屋で一夜を過ごすわけにはいかないと、自ら正体を明かし事の成り行きを玉楼に説明する卞済なのでした。でもって、なぜか夫婦の誓いを交わしていたりする(なぜ?キミには月英がおるだろーがっ!)。
そこへ捜索隊登場。お嬢様を誘拐されたと思い込んだ両親の仕業だった。容疑者として検挙された周通。玉楼に月英@卞済を頼む〜〜〜と引っ張られていくのでありました。その上、捜索隊は玉楼を月英だと勘違いしちゃって連れて帰っちゃうのです。それなのに科挙の試験を受けるため卞済は旅立ってしまって(えーっ?!)、もうワケわかんな〜い。

月英宅。誘拐されたのは月英ではなく女装した卞済だったことが分かり、玉楼のことを卞済だと思い込み男物の服に着せ替えます。なんとなんと、そこには超美男の玉楼。これに喜んだ父は「はよ結婚しちゃいな。るん♪」とそそくさと結婚式の準備に取り掛かる。困った玉楼は月英に真実を明かします。
必死の思いで牢から出てきた周通、「このままではおかんぞ」という意気込みで月英の両親に結婚を迫ります。しかーし、運良く月英宅に宿を借りていた魯智深(って誰だ?)が事情を知り、周通をこらしめちゃいます。そして見事科挙の試験に合格した卞済は月英、玉楼、春蘭を妻にするのでありました。
めでたし、めでたし。

…って、これめでたしなの?
春蘭と玉楼がめっちゃ頑張ってるのにさぁ、肝心の卞済と月英はオロオロするばっかりでなーんもしてへんやん。ワケワカラン。科挙に合格したってことは出世街道にのったってことよね?みんな玉の輿狙いなのか?!そこに愛はあるのか?!
立ち読みしたあらすじなので不十分なんですけど、「花田錯」という映画もあるみたいです。レスリーの「花田[喜喜]事(恋はマジック)」も基本はこんな感じです。ちょっと女好きな役だし(笑) この題材をうまくひねってるんだなぁと思いました。ラストであいあい傘してるレスリー、自分の方に傘を寄せてるからお嫁さんに日が当たってるの〜。でも全然気付かずニコニコしてるの。可愛い!
posted by USA at 23:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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